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    DRAMATIST

    SACHI ODANI

     

     

     

     

     

  • what Dramatist?

     

     

     

    想像することを楽しむこと

    ありえないこともありえる世界に

     

     

     

  • profile

    小谷彩智(オダニ サチ)

    ・幼稚園のお遊戯会や小学校の学芸会が好きで演劇に目覚める

    ・中学校から演劇部に所属。部活動に励む。

    ・鴨沂高校演劇部に所属し、3年生の時に初めて脚本を書く。

    ・近畿大学文芸学部 演劇芸能専攻 演技コース 卒業

    これまでの作品

    2001.ドリーム in the マヨネーズ 

    2002.山田家の食卓

    2004.ドリーム in the マヨネーズ2

    2004.屋根

    2005.レトロメトロ

    2006.ソン・エ・ルミエール

    2011. 鴨沂高校演劇部新歓公演脚本

    2013.S.

    2015.屋根(改訂版)

    受賞歴

    ・高校3年生の時に書いた「ドリーム in the マヨネーズ」が、京都府高等学校演劇連盟中部支部演劇コンクール(2001)で最優秀賞を受賞。第14回京都府高等学校演劇大会に出場する。同時に、2001年度第12回創作脚本コンクール最優秀賞を受賞

    ・「ドリーム in the マヨネーズ」が京都府高等学校演劇連盟の発行する『創作脚本集第2号』(2008)に掲載

    ・「S.」

     第17回京都府高等学校演劇連盟中部支部大会(2013)で最優秀賞受賞

     第26回京都府高等学校演劇大会(2013)で最優秀賞受賞

     第48回近畿高等学校演劇研究大会(2013)に出場し、優秀賞受賞

    ・第19回京都府高等学校演劇連盟中部支部演劇コンクール(2015)で鴨沂高校演劇部が上演した「レトロメトロ」が優秀賞を受賞

     

    これまでに上演頂いた主な作品

    ・「ドリーム in the マヨネーズ」

    立命館中高演劇部「2009年度中学生校内公演」(2009)

    洛西高校演劇部 京都府高校演劇連盟中部支部冬季合同公演 第4回冬劇祭(2011) 

    ・「鴨沂高校演劇部新歓公演脚本」

    新歓公演用に当て書きした作品。 2011年に上演

    ・「S.」

    Kyoto演劇フェスティバル特別企画として上演(2014)

    works

     ワークショップ形式で役者の魅力を引き出す当て書きを得意としています。執筆依頼や脚本使用等、連絡は下記のフォームへお願いします。

  • 「S.」について

    母校である鴨沂高校の建替えにまつわる物語。

     

    上京区役所のWEBサイト「カミング」に掲載されました。

     

    歴史を、自由を尊ぶ生徒たちの鴨沂高校への愛を見た ~ 鴨沂高校演劇部 近畿大会優秀作品「S.」より ~

     

    記事はこちら

  • Gallery

    過去作品を公開しています。使用希望の方は、下記の連絡フォームでご連絡お願いします。

    そんな夢みたいなこというな

    〜『ドリーム in the マヨネーズ』〜

     コンクール出場のため、はじめて『脚本を書く』ということに意識的に取り組んだ作品

     

     高校三年生になった春。受験勉強のため同学年の部員は辞めていき、しかし高校生活最後の大会にどうしても優勝したかった、というより『ちゃんと演劇』をしたかった私は、それまでまともに話したこともなかった部活顧問の先生の所に、自分の書いたものを持ってしぶしぶ向かいました。「まだ出だしだけなんだけど・・・」とおそるおそる手渡し、先生が読み終わるのを待つこと数分。しかしその場で言われたひとことは無情にも「ボツ」。

     今まで話したこともないやつになにがわかるんじゃ!いたいけな高校生が書いてきたものにボツはねーだろ!と部室へ戻り、ひとりだけ残った同学年の部員に相談。あーだこーだ言いつつなんとかそれを最後まで書き上げ、再びトライするも「全然面白くない」のひとこと。じゃあ一体どんなの書けばいいんだよ!と憤る私に差し出されたのは、鈴江俊郎の『髪をかきあげる』でした。

     それまで『脚本を書く』=『ストーリーを書く』ことだとばかり思っていた私には衝撃の内容であったと同時に、『こういう〝会話〟なら自分にも書けるんじゃないだろうか』と、なんとおこがましくも錯覚し、すぐその気になりました。そこから出来上がったのが本作です。

     

    書くことで、作品を作る時の思考が変わった

     

     ストーリーよりも会話をというところに出発点を置き、物語のつじつまよりもセリフのリズムや引っ掛けで遊んだりして作品の空気をつくり、その結果としてキャラクターやストーリーが出来上がる。それまでの『お話を考える』思考とは全く逆の作業。事件や突飛な設定に頼るのではなく、日常を見過ごさず拾うということが作品を形作る要素になるということを知りました。当時の私は無邪気にも「こんな個人的な言葉使いでいいんだろうか」と思ったことを覚えていますが、案外その『個人的感覚』を素直に見つめ、吐き出すのはむずかしいことなのだと、後々思い知りました。なので今回、『意識的だった所/偶発的に生まれたもの』など当時の感覚を残すため、漢字の変換や文字表現はあえて当時の上演台本のままにしました。

     

    無自覚にも楽しかったはずの"書く"こと

     

     サイト掲載にあたり、紙媒体からデータ化しないといけないので、全編うちなおしをしたわけですが、まあ、内容はつっこみ所が満載でしたね。

     近年『書きすぎる』傾向にあるのは自覚しているのですが、女子高生二人の会話はまわりくどくなくて思い切りがいい。何より楽しんで書いており(まだ生みの苦しみを知らなかっただけなんですが)『シンプルなのに広がりのあるセリフ』という、今でも変わらず追求しているものはまさしくこれではなかったか、と初心を思い出しました。

     しかしそれはさておき、です。私は二十八歳の成人男性を一体なんだと思っていたんでしょうね。メル友云々以前にワタナベよ、授業参観行く気ないだろう。今の会社に不満が無いわりには日曜も出勤予定のどんな仕事なんでしょうか。他にも、ショウコちゃん突っ込む所はそこでいいのか。画家とか歌手とか漠然としすぎだろう。絵をもう一度やるにしったってフランスまで行くことないだろうに。せめて自分のアトリエがほしいとかにしておけよ。サヤカはワタナベと何歳離れてる設定なんだ。歌手志望のアカネが一曲歌うシーンはないのか。女子高生二人のしゃべりが若干アホっぽいのはこれがリアルだったからなんだっけ?さりげなくきわどい会話をはさんでいるけれど、ショウコとワタナベは付き合ってないのか、むしろそれってどうなんだ?どういう関係なんだ?というかそんなことが書きたかったんじゃないことはわかっているんだけれど気になって現実的な所ばっかり突っ込んでしまう私は、もはや夢も語れぬ人間ということでしょうか。

     

    携帯電話が流行り始めたとき、ほんの一瞬だけあった「あの感覚」

     

     これを書いた当時は『ポケベル』の時代から『PHS』『ケイタイ』を皆が、それこそ高校生でもひとり一台持ち始めた頃です。メールは一通送るのに数円。インターネットも定額制など無く毎分幾ら計算。着メロはダウンロードするものではなく、専門誌を購入し、自分でちまちまとキーを操作して設定するという、今思えばなんとも微笑ましいものでした。

    そんな『ケイタイ』にある日突然、知らない番号から『メル友になりませんか?』というメッセージが送られて来ます。相手は適当に押した電話番号。たまたま繋がった相手と電話で話すのではなく、メールのやりとりがはじまるのです。

     デジタル社会における複雑な犯罪もまだ起っておらず、電話番号という個人情報が漏れたからといってそれを誰かが悪用するでなく、今となればなんだかよくわからない節度を守り『文通感覚』でするメル友という関係が成立していた時期がほんの一時、あったのです。そう、言葉の裏も何もなく単純に、メル友。ケイタイ電話を持つということに世間全体が浮かれた時期だったのでしょうか。

     その後、援助交際やいろいろな詐欺犯罪が徐々に出てきたため、この感覚は一般的に消滅しました。

     

    作品から湧き上がってくる書く原動力を大事にしてほしい

     

     あの頃、世間はそんなに複雑じゃなかったのではないでしょうか。『なんとか病』は、うつ病ではなく『五月病』でしかありませんでした。いろんなことを知ってしまう分、情報や隣人や、他人の価値観などに必要以上に敏感になりすぎ、麻痺していることはないでしょうか。あの頃、私は自分らしさにこだわっていたようです。他人に自分を判断されてものを言われることにやたらと憤っていたようです。何にせよ、そういう怒りを原動力に作品を書くという筋道がシンプルに現われています。突っ込み所が満載でも、それを上回る感情的根拠があれば作品は成立するのです。なんて、てっきり昔を懐かしむ気でいたら、過去の自分に『本当はこうあるべき価値観』を思い出させられた気がしました。

    演劇部に、入ってもらうために

    たかが部活、されど演劇部 

    〜新歓本について〜

     大学も出て数年した頃。芝居の脚本を書きたいという衝動はあるものの、何一つ書けず、一言も書き出すことが出来ない状態で、今となってはそういう状態というのは自分のスタイルというか、そんなかっこいいもんじゃないにしろある種自分の癖みたいなもんだと、半ば受け入れられるようになりましたが、相当戸惑った時期がありました。

     

    「本当は自分たちで書きたい」
     

     そこへ、『30分ものでいいから気軽に』という声のもと母校演劇部からの依頼があり、ひき受けました。
     新入生歓迎公演というのはようするに、演劇部への入部勧誘公演です。私たち、こんなメンバーで、こんな活動をしています、どうぞみなさん演劇部に入ってください。というのを、演劇部なので演劇でみせようということです。
     ええと、こういう時ってどうしてたっけな。私たちの時といえば、ベタにオペラ座の怪人とかやったような気がする。でもどうやら現役生たちはそういうのがしたいんじゃないらしい。本当は自分たちで書きたいらしいが、書けない。書き方を知らない。いや、『書き方』なんてあって無いようなもんなんだからとりあえず好きなこと書けばいいのに・・・といいつつ、今の私もそうじゃないか。

     

    ドラマになり得る自分たちという存在

     

     ということで、お互い『なんもない』んだから、ここはネタを出し合いましょうと、本人たちに『取材』をしました。
     結果、等身大の素材、問題提起で一本仕上げることができたのは、もう高校生で無くなって何年も経っており、突然現れた得体の知れ無い私の質問に、彼女たちが案外素直に答えてくれたからです。始めこそはずかしがっていたものの、『好きなもの』『自分』『何がしたいのか』について他人に話すことの抵抗が取れてくる様子がおもしろく、じゃあもうあなたたちそのままでいいじゃないの、となりました。なので内容は当時のリアルな状況設定。結果、主題は『演劇部、人いません!誰か入って!』という本来の叫びに立ち返る、非常にシンプルなものにすることができました。

     

    皮肉さが演劇の魅力になる


     書くにしろ、演じるにしろ、自分を人前に晒すからには、その個人的欲望を『見せ物』にするには、何かしらそれを見る、見せられる側を圧倒する『欲求』がないといけないし、まずは自分自身が自分の欲求に正直にならないと、追いかけるモチーフや主題を捕まえることが、見つめることができません。その上で、ただの自己満足や熱のない虚構は誰の心も動かさないという演技論、問題のある自分たちの現状を、自身で演じるということの皮肉さを見せることが、その客観性が、見る側の心をうつのではないか。これを書いたおかげで私自身も、自分の中で執筆においての感情の処理の仕方というか、それこそ、困った時の道しるべみたいなものが見つかった気がしました。
     

    好きなものを見せ物に


     この作品はあくまで『当て書き』をしたものです。もし、使用していただけるならもちろん『そのまま』でもいいですし、流行や演じる人によって変更すべきところはたくさんあると思います。言い換えるなら『主題をブレさせずに遊べる』ということかな、と思います。
     みなさん、どうぞ、思う存分、『自分の好きなもの』を人前で見せ物にしちゃっても、いいのではないでしょうか。それが演劇部の特権です。

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