あけましておめでとうございました!
2017が9日もすぎてしまいましたが・・・。
去年の暮れに、劇評第四弾が掲載されました。
http://gekken.net/atelier/cn24/pg593.html
別に時間あけて話を引っ張りたかったわけじゃないんですが、
これについてあれやこれや語りたいなともやもや考えていたら時間が経ってしまいました
んでも結局そのあれやこれやは書いてあるわ!
という結論に至り、その感情が全部ではなくても自分の中である程度文章に込められたのもになったので
是非読んでいただきたいです。
自分で書きながらも、一瞬一瞬で消えていくし、たとえ同じ演目でも二度と同じ時間は共有できない舞台に対して、そもそも劇評って一体なんのためにあるんでしょうね、と思うことはあり
私はまだまだそれは解らずで
ただの記録ではおもしろくないし、作品がよくても、劇評がよくても、それを観てない人が読んで、再演でもされない限り宣伝にもならんし、書き手の一方的な感情表現にとどまってしまうのも違う気がするしと毎回思うし
などと他人にこの劇評というものを「読んでほしいんです!」って言う自分のための言い訳を考えていました(笑)自分のためです。とんだ自意識過剰です。
劇評の上手い下手はさて置かせていただいて・・・、
今回のこの作品の空気は、たとえ私が個人的な視点のフィルターをかけてでも、なんとか文字に起こして留めたくてしかたないと思えるものでした。
介護「する側」ではなく「される側」の視点で作品が作られていたのもツボでした。
わかりきった正しさやお説教なんてものが大っ嫌いな性分なもので(笑)
自分が自分でなくなってしまうような恐怖や、大事なものを失うこの種の感覚は
特定の病気に罹っていなくても
これは自分にも起こり得ることだと思いました。
それを、病気や社会問題として切り離してしまう方法では無く
言葉は少なくても、物語として、感情に寄り添えるように
なにより演者が「役」に寄り添って演じているのがなにより愛おしくて
むずかしいことはもう置いといて、お芝居の醍醐味ってこれだわー・・・と。
そこまで陶酔してはじめて、なぜこの題材が取り上げられたんだろう
なぜこれをこの人たちはこれを演ろうと思ったんだろうと考えるに至ることができて
個人的感情ベトベトな観方をする私でもぐるうっとまわって「社会的」とされる視点を持てそうな気がして面白かったです。
それが私が繰り返し求めている表現や作品への切実さで
劇場に行くのはめんどくさいし
せっかくお金払ってるのに
悲しいことや怖いものを観せられたくないと思う人もいるかもしれないけど
そこで感じることや考えることを止めてしまうと、
その先にある本当のおもしろいは見れないんだよ、と
別にこんなこと私に言われたくないでしょうが・・・
堂々と言ってやりたくなりました。
誰にやろ(笑)
自分の原点であるような気のする、よくわからない反骨心にたち帰れたところで
このだらだらねちねちくどくどを
今年もおつきあいいただければと思います
思い出したときでいいので
次は劇評以外の話します・・・!