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「詩とは何ぞや」

と、劇評第三弾

· 劇評,漫画,

劇評第三弾、アップして頂きました

         

         

 

関係あるような関係ない話ですが

石川淳の小説にハマったのに端を発し、私の中で戦前昭和初期がキてるんだなんだと騒いでいた所「月に吠えらんねえ」という漫画をススメられまして、

今これにまんまとダダハマりしております。

創作と生の苦悩からの文学あるあるから個人的ツボ感覚が詰まりすぎるほど詰まりすぎていて身悶えながら読んでますが

この漫画作品自体の良さについては現在客観的に語れないほどハマっちゃってるし、私なぞが説明するぐらいならいっそ読んでくださいってもんで

でも私にススメてくれた人も言ってたんですが説明出来ないというかこりゃいったい何処にむかってて誰にススメりゃいいのかわからんはなしで

いろんな意味で責任とれないのでその辺は割愛させていただきます

今回は何が言いたいのかというと

今まで自分はバリバリの「小説派」だと思ってたんですが

意外に「詩」というものを読んで来ていたんだなって思いました。

まず、この漫画の主人公モチーフとされている萩原朔太郎とその作品。

脚本でも小説でもだいたい脇役とか二番手三番手あたりが好きなんで

あんまり主人公に感情移入しないんですが

これに限っては主人公の「朔くん」が愛おしくってたまらん状態・・・

その流れでまんまと朔太郎ご本人様の作品にも手を出してみてます。

漫画はあくまで各作家の作品から受けた印象をキャラクター化したものだそうですが

まあもろ漫画の影響で読んでみたわけですが。

というか漫画のほうを読んだときにも思ったんですが

あれ?わたしはこんなに詩というものをスルッと受け入れられる人間だったっけ?と。

漫画で取り扱われているのは近代詩人及びその作品なんですが

もちろん詩や詩人を知らなくても、作品構造自体に影響力があって

「わかりやすく解る」ことばかりが 良い作品とは限らないということがよくわかる

わけわからんけどなんかすごいということにはもっと敏感にならねばというか

拒絶してしまうと終わってしまうということ。

自分が、なんかすごいと感じたものにはもっと素直に反応するべきだし、それがなによりドキドキすることだし

否応にも想像力が刺激される

まさに「詩」とはこういうものかと思い知らされました。

ひどいもんで、本当ひどいもんで

詩と短歌の区別も危ういというか

なにがちがうん?ぐらい意識してませんでした。おはずかしい。

で、朔太郎ご本人のほうで面白いのは書簡や詩論

読んでみると、ねちっこいけど、つきぬけて狂気じみた執念のこもったポリシーがあって

自身がその執念に忠実というか、どこまでもつきつめておもいつめちゃってて

でもその、おもいつめちゃってる感が大事で

このひとはこれをやらんと死ぬな、というか・・・

詩なら特に、言葉が限界まで削ぎ落とされるぶん、骨密度が問われるというか

切実さを追求した人にしか許されない偶発的言語

計算が見えるとダメになってしまうもの

朔太郎は詩はリズムだと言っており

詩は音楽にならなかった言葉であり、音楽は言葉にならなかった詩である

と言ったのはヘッセだったか、

関係あるのかないのかむずかしいことはまだ私にはわかりませんが

音楽を聴くと悲しくなったり楽しくなったり、風景を思い描いたりする感覚って、言語表現に置き換えてみても在るはずで

音楽とは形の見えない消えるものであり

その刹那性が言語表現に求められたのが詩なんですね!

と個人的に腑におちたというかわかっちゃって(いや合ってるかわからんけど・・・)

演劇も、残らないもの、消えるものだし、きっとわたしたちはその刹那性に賭けてやまないのだなあ

などと浸ってしまいました。

以前は、詩ってなんか頭のなかにぽんとでたことばをとりあえずつらつら書いてるだけでしょ、ナルシストっぽいしよくわからんわ!と思ってたけど、

ちがう、朔太郎は、身の内に生じるこのわけわからんものを、なんとか捕まえようと、縫い止めようとし、途方も無く孤独な作業の末、物凄い自己否定や自己検閲をかけ、最後の最後に残った言葉を記すというのが詩なんだ、だから感動するのだ

そしてその作業は、物凄い熱量をもってきっと一瞬でされていて余計な計算や下心にとらわれては、たちまち失速し、しんでしまう、というかそもそもがそんなものではないのだ。

作業量をみせつけられるわけじゃないけど、その熱量の代償が感じとれるから心が動く、感動するのだ。

詩のすごさはわたしなんかがあらためて説明するまでもないですし

この魅力をもっともっと理解している人なんていっぱいいるんだろうけれど

そういえば中原中也は昔から好きで

何が好きかってぇと、教科書で読んだゆあーんゆよーんてなんやんねんからの、繊細なのにぶっきらぼうでメルヘンのくせして破滅的なところが笑えて、この人は悲しみが汚れちまっても生きてるというか、絶望しててもどこかで世界にしがみつけてるというか、朔太郎とは似て非なるベクトルで絶望してて、そういう個人的に持っていたイメージも表現されててたまらんし

これまた以前から「蝶」「我顔」が気にいりで読んでた西條八十も今後登場するみたいなので大変わくわくしております。

ていうか「猫町」って萩原朔太郎だったんですね・・・。

まだ脚本というものを意識してなくて、それはもうプロフィールに入れるのも忘れてたぐらい昔に初めて書いた話は

人間が猫に裁かれるという話でこれはそういえば

当時何かネタはないかと本屋で背表紙を眺めていてたまたま目にとまったのが「猫町」というタイトルの児童書で

中身も見ずにタイトルからイメージを勝手に拝借し話をひろげたんでした・・・。

結局語りましたが(笑)まあここはそういうところなのだと自分に言い聞かせて

そんな感じで「月吠え」は我が家から貸出禁止の殿堂入りしてますし、これで万が一読んでくれた人がいたとして「全くわけわからんかったわ!」と言われても困るしですが、リアルで語ってくれる方大歓迎です。