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書けない私のきまぐれ観劇日記

 さあここにブログを書いていいですよって場所があるのにさっぱり放置気味だった私がパソコンを開く気になったのは、昨日観に行ったお芝居がとっても良かったからです。

 オセロット企画第7回公演「小さな妹の新しい夢」in KAIKA

 たまたま別の劇場で公演チラシを眺めていて、なかでもいい感じだな〜と目にとまったチラシだったんですが、そこになつかしい名前を発見したので、当日券で突撃しました。

 最近はもっぱら、今のトレンドに追いつこうと毎週末のように劇場に通っていたんですが、あくまで私の個人的感想ですが、物語やシーンや言葉がひたすら解体されていたり抽象的だったり、抽象でもいいんだけどそれってオシャレなのか?オシャレで演劇をやっているのか?と思ってしまうものや、演劇といってもダンスともパフォーマンスともつかないというか、表現手段の切実さが響いてこないものが多くて、それは観ている私が時代遅れで、今の流行りがこうなのか、とだいぶ不安になっていました。

 そんなときにこのお芝居を見れて、ああ、やっぱり私はこっちが好きだ、と、やっぱり流行りとかそんなのはなくて、本当の〝良い〟が存在する作品というのは変わらないんだと再確認できたというか。

 しっかりと書かれた脚本があって、それは決してその時点で完成形である必要はないんだけれども、それでも真摯に言葉におこす作業がされていて、そのひとりの作家が生みだした言葉に、役者が向き合い、スタッフを巻き込み、観客と同じ場で、一同に反応できることこそが演劇の躍動的でリアルな特権だと思う。

 作演出の水上くんは大学時代の後輩で、あれはたしか私が3年だったか4年だったか、カリキュラムに余裕が出たので好きな授業をとってやろうと下級生の授業に出ていた時に、数人でグループを組んで論を纏めるというような授業で一緒だったのを覚えています。

 きまぐれで参加してるくせに、やたら自分の演劇観を話したがる得体の知れん私を相手にしつつ、なおかつ人の目を見て自分の意見も返してくれて、その時組んだグループ自体、他の子たちも、しっかりした〝自分の意見〟を戦わせてくれて、話していてとても楽しかったのを今でも覚えています。

 こう書くと、彼らとだけでなく、稽古の帰りごとに、当時持て余した各々の演劇観や、愚痴なんかを、どっぷり話合った同級生数人の顔も改めて思い出しました。

 案外私の時間は、特に演劇に関しては、あの頃で止まってしまっている部分もあるので、私は覚えてるけどもう彼は忘れているかもしれないな、と思っていたんですが、覚えてくれていてうれしかったです。

 今さら先輩ヅラする気なんてさらさらないですが、というかもはやできませんが、二人のシーンが主のお芝居で、わたしなんか二人芝居を書こうとすると何を話せばいいのかたちまち言葉が出なくなってひたすら沈黙・・・みたいになってしまってぜんぜん書けないのですが、まずもって脚本の段階で作家が生み出すものがあんなに言葉に、会話にされていることにひたすら感じ入ってしまいました。

やっぱり、ある程度はちゃんと、言葉にすることを、逃げてはいかんのだ。

 思い出話なんだか観劇記録なんだかわからなくなりましたが(笑)

戯曲も買ったので、まずはそれを読みきることから逃げないようにします。